No.10 2008.5 |
リサーチダイジェスト |
ERA(European Railway Agency)による鉄道の安全管理に関する調査研究 |
長岡技術科学大学 システム安全系 教授 平尾 裕司 |
1. 調査研究の目的 |
安全を確保するための方法は、1960 年代に始まったアメリカ国防総省規格(MIL-STD-882)における方法を含め、化学プラント、機械分野など異なる適用分野を背景に成立したにもかかわらず、現在はリスク管理をベースとした方法に収斂したとみてよいであろう。鉄道においては、安全関連信号システム、ソフトウェア、RAMS などいつかのリスクの概念を取入れたIEC 規格が2002 年に制定された。 さらに、ヨーロッパでは、EU 域内の鉄道の安全とインタオペラビリティを管理・推進するERA(European Railway Agency)が2005 年に設置され、新たな展開を迎えている。安全に関して具体的には、共通安全目標(CSTs)、共通安全手法(CSMs)、共通安全項目(CSIs)を導入してリスク管理による安全確保を進めるとともに、事故データベースを構築して定量的評価等のための基礎データを得ることを進めている。CSMs については、定性的および定量的な解析を組み合わせた妥当な手法がすでに第1次勧告として提出されている。 鉄道の安全においてリスク管理を適用することの重要性については日本においても共通に理解されているが、その具体的な方法については今後の検討によるところが多い。そのようなことから、鉄道のリスク管理への適用の検討に資することを目的として、ERA によるヨーロッパの鉄道の安全管理に関する調査研究を行った。 具体的には、国際会議の文献やERA のホームページから得られる資料を参照するとともに、ERAを訪問し担当者から聞き取りを行い、以下のことについて調査研究した。 (1) 鉄道の安全およびインタオペラビリティに関するEU 指令の体系 (2) ERA の組織と諸活動 (3) 共通安全目標(CSTs)、共通安全手法(CSMs)、共通安全項目(CSIs)、安全管理システム(SMSs) 検討の現状と課題 (4) 安全データベース構築の現状と課題 |
2.鉄道の安全およびインタオペラビリティに関するEU 指令の体系 |
ヨーロッパの鉄道の安全に関するEU 指令として、EU 域内の鉄道の安全向上と鉄道輸送サービス市場へのアクセス改善を目的とした2004/49/EC (Railway Safety Directive) が2004 年に制定された。これを受けて、ERA がフランスValenciennes に設置された。 また、EU 域内の高速鉄道網および在来線によるインタオペラビリティの実現を目的とするEU 指令がそれぞれ96/48/EC、2001/16/EC(その後、これら2 つの指令は2004/50/EC で修正)として制定された。在来鉄道のインタオペラビリティ技術仕様や運転士認定基準の作成、列車制御システムERTMSの仕様の変更・管理に関する業務はERA で行われている。 インタオペラビリティでは、EU 域内での共通な列車制御システムERTMS の構成各装置に対して安全相互認証を前提としており、鉄道安全指令とインタオペラビリティ指令は安全管理において密接に関連する。ERA において、これら2 つの指令に関する業務が行われる理由はここにある。 なお、EU 域内では、EU 指令は実質的に法的規制力を有する。 |
3.ERA の組織と諸活動 |
ERA には、安全ユニット、インタオペラビリティユニット、ERTMS ユニット、経済評価ユニット、事務管理ユニットの5 つのユニットがある。安全ユニットでは、CSTs、CSM s、CSIs の新たな構築や、それらを適用するためのガイダンスの作成、安全データベースの管理などを行っている。インタオペラビリティユニットでは在来鉄道のインタオペラビリティ技術仕様や運転士認定基準の作成を行い、ERTMS ユニットではERTMS の仕様の変更・管理を行っている。また、経済評価ユニットでは、ERA からの勧告についてアセスメントを行っている。 |
4.共通安全目標(CSTs)、共通安全手法(CSMs)、共通安全項目(CSIs)、安全管理システム(SMSs)検討の現状と課題 |
(1)CSTs 鉄道安全指令には、CSTs、CSMs、CSIs、SMSs の役割や要件が記述されている。CSTs については2009 年までの採用が求められおり、CSTs の第1次勧告は2008 年9 月にERA から提出される予定である。現段階における検討状況は以下のとおりである。 CSTs は、ヨーロッパにおける鉄道の共通安全目標値であり、鉄道の安全レベルを維持・向上することを目的とする。そのリスク受入れ評価基準として、鉄道における個人リスク(旅客、鉄道従業員、踏切、その他)と社会リスクが用いられる。鉄道における個人リスクの単位として、換算死亡者数/旅客列車・km が基本的に使用される。なお、鉄道全体での安全レベルと個々の線区種別(高速線、在来線など)ごとに定義されることになっている。 現行の鉄道における個人リスクを求めるために、EU の公的統計データ機関であるEurostat の2004-2007 データを用いて検討が行われている。2007 年以降は、各国の安全管理当局 (National Safety Authority) からERA に提供される事故や安全設備に関するデータであるCSIs によって安全レベルを把握するとともに、データの蓄積が行われる。 最初のCSTs は、各EU メンバー国(25 国)の鉄道安全レベル (NRVs) を現時点で全て満足し、各国の現行の安全レベルが以降下がることはないことを保証しなければならない。Eurostat のデータに加重移動平均などの処理を加え、旅客についてのALARP 許容可能領域の下限値をEU メンバー国25 のNRV の平均値に、許容可能領域の上限値を最も大きいNRV と許容可能領域の下限値の10 倍のうちの大きな値に設定することを検討している。 国によってCSTs への必要な対応方策は異なるので、ガイドラインを作成する予定である。また、鉄道装置の調達や仕様にも影響を与えるかもしれないため、フィージビリティスタディも行うことになっている。 なお、NRVs によるCSTs の決定にあたっては、どのような規模の事故までを扱うかなどデータの取扱いに関する関係者間の合意が必要とされている。 (2)CSMs CSMs は、安全レベル、CSTs の達成、関係安全要件をどのように評価するかを示すためのものである。 このようなCSMs については、次のように2 つに分けて検討されている。 a. CSIs によるCSTs の達成に関する安全パーフォマンスのアセスメントのための統計的手法 b. 安全レベルと安全要件への適合アセスメントのための予測的リスクアセスメント手法 前者の統計的手法はCSTs と密接に関係するため、2008 年第1 四半期に示される。後者のリスク評価とアセスメント手法については、2007 年9 月にERA から提出された第1 次CSMs 勧告に大枠が示されている。このリスク評価とアセスメント手法は、信号システムなどの鉄道設備の認証にも関係する。 最初にハザードの同定および分類が行われ、鉄道システムに大きな変更があると判断されたときのみ、CSMs が適用される。その際、 a. 既存の規格類 (code of practice) b. 同様な参照システム (similar reference system) c. 明示的なリスク評価 (explicit risk estimation) の3つのリスク受容原則がとられる。 これは、既に使用されている規格類や同様な参照システムがあれば、それら従来からの安全確保の方法の適用を認め、該当する従来からの方法が適当でないときのみ明示的なリスク評価を行おうというもので、コストなどを含め現実を考慮したCSMs 勧告内容になっている。付図にCSMs のこれら枠組みを示す。 (3)CSIs とSMSs CSIs については、上述したように、CSTs の決定や安全レベルを把握・管理するために各国の安全管理当局 からERA に提供される事故や安全設備に関するデータであり、鉄道安全指令に具体的な内容が示されている。また、SMSs については、鉄道運行組織またはインフラ管理組織がその業務の安全管理を行うためものであり、CSTs やCSMs がそのための基盤となる。 |
5.安全データベース構築の現状と課題 |
CSTs の決定、EU 域内鉄道の安全レベルの把握・管理、さらにはCSMs の検討に有効活用できる十分な鉄道安全データベースは現時点でヨーロッパにはない。前述したように、ヨーロッパ内の全分野を対象とした統計データを扱う組織Eurostat の比較的粗いデータを用いてCSTs が検討されている。 2007 年以降は、ERA に各国の安全管理当局からCSIs が提供され、データが蓄積される。 ただし、これらデータは設備の故障に関する詳細な内容を含むものではないため、具体的にCSMsにおけるリスク評価やアセスメントに直接使用できるものではない。これら詳細な評価・アセスメントのためのデータは各国の関係組織内にあり、EU 域内で共通な安全データベース構築までは至っていないと判断される。 |
6.まとめと考察 |
以上、ERA によるヨーロッパの鉄道の安全管理に関する調査結果を述べた。以下にこれらのまとめと考察を行う。 1. ヨーロッパの鉄道は、定量的な安全レベルを定めるCSTs と、CSTs の達成および関係安全要件を どのように評価するかを示すCSMs によってリスク管理をベースとした安全管理の実現をめざしている。 これらの背景には、EU 域内の輸送機関としての鉄道の地位確保と、鉄道産業市場のオープン化が ある。 2. CSTs やCSMs の検討にあたっては、EU 域内の関係組織(安全管理組織、鉄道運行組織、インフラ 管理組織、産業界など)から広く意見を求め、それらを反映するアプローチがとられている。 その結果、検討・勧告内容は、現状を考慮したものとなっている。 3. CSTs については、数値による定量的目標安全レベルを定めるものであるため、筆者にも設定すること の可否とその設定値の妥当性に懸念があった。しかし、鉄道における個人リスク(換算死亡者数/ 旅客列車・km)を用い、EU メンバー国の全てが現時点でクリアできるALARPの許容可能領域の 上限値を検討していることから、妥当な内容と考えられる。 4. なお、鉄道信号システムのリスク評価では、SIL( たとえば SIL 4 として許容ハザード率THR (h-1) 10-9 ≦ THR < 10-8)が用いられるが、これとCSTs の個人リスクとの関係付けについては別途 検討が必要である。 5. CSMs については、リスク評価とアセスメント手法として既に使用されている規格類や同様な参照 システムがあれば、それら従来からの安全確保の方法の適用を認め、該当する従来からの方法が 適当でないときのみ明示的なリスク評価を行う。これは、妥当な内容であるが、認証等のコスト 増加を懸念する鉄道信号産業界からの意見が反映された結果と考えられる。 6. 鉄道システム(特に鉄道信号システム)の安全認証は、EU 域内では鉄道産業市場のオープン化と 鉄道組織の上下分離でより重要な課題となっている。既に、一部で相互認証なども行われつつあるが CSTs とCSMs による安全管理のもとでのEU 域内での認証については今回の調査研究ではカバー されておらず、今後の課題である。 7. 鉄道安全指令では、CSTs、CSMs やCSIs などについて体系づけて適切に記述しており、早い時期 からリスク管理をベースとしたヨーロッパの鉄道の安全管理の検討が行われてきたことがわかる。 8. 以上のようなヨーロッパにおける鉄道の安全管理は、体制や制度は異なっているものの、日本に おいても鉄道へのリスク管理適用の検討に参考となる点が多いと考えられる。 9. 鉄道以外の産業分野においても、CSTs とCSMs を中心概念とするヨーロッパの鉄道の安全管理は 先進的な取組みであり、安全管理手法として検討対象となるものである。鉄道では既に逸早く RAMS 規格を制定しており、ヨーロッパ鉄道の安全管理はRAMS 規格を展開したものとしても位置 づけできる。 |
略語 |
ALARP: As Low As Reasonably Practicable CSTs: Common Safety Targets CSMs: Common Safety Methods CSIs: Common Safety Indicators ERA: European Railway Agency NRVs: National Reference Values RAMS: Reliability, Availability, Maintainability and Safety SIL: Safety Integrity Level SMSs: Safety Management Systems THR: Tolerable Hazard Rate |
ERA に関する資料 |
ERA のホームページ http://www.era.europa.eu/ から得ることができる。 |
付図 CSMs におけるリスクアセスメントのフレームワーク |
※ERAホームページ資料 http://www.era.europa.eu/public/core/Safety/Documents/our%20products/cst-csm/ERA-REC-02-2007-SAF.pdf ERA,European Railway Agency Recommendation on the 1st set of Common Safety Methods (ERA-REC-02-2007-SAF)による |